綿業会館(大阪市中央区備後町2)で、5月23日、江戸期の豪商「淀屋」の功績を学ぶ記念シンポジウムが開かれた。
今年で設立10周年を迎える「淀屋研究会」が企画した同シンポジウムにはこの日、大阪内外から約300人が参加し会場は満席となった。
「淀屋」は江戸時代の大阪を拠点とした豪商で、米価の安定のために「米市」を設立したことなどで知られる。青物市など市場の整備や中之島の開拓など、近世大坂の経済発展にも大きく貢献し、現代では大阪ビジネスの中心地である「淀屋橋」の地名に名残りをとどめている。
同研究会は、2005年5月に鳥取県大阪事務所で設立。淀屋に関する研究と成果の発表、情報や資料の共有を通じ会員相互の親睦をはかることを目的に活動している。
「天下の台所・大坂の礎を築いた豪商『淀屋』の闕所(けっしょ)から310年」と題した今回のシンポジウムは、「大坂の陣400年天下一祭」参加事業の一つとなっている。「闕所」とは幕府による財産没収のことで、淀屋は現代の金額に換算しておよそ100兆円にものぼる資産を押収されたという。
同シンポジウムの第一部では、同研究会代表の毛利信二さんが「淀屋研究会10年のあゆみ」と題して、研究会が発足するに至った経緯や、これまでの研究成果、活動内容などを紹介。第二部は講談師の旭堂南青(きょくどうなんせい)さんの講談「5代将軍綱吉の時代」から始まり、会場は時折笑いに包まれていた。
続いて、佛教大学歴史学部の渡邊忠司教授が「近世大坂の商業的発展と淀屋-闕所の背景を探る-」をテーマに講演。渡邊教授は「淀屋は豊臣秀吉の時代、大坂が商業として発展するのに大きく貢献し、大坂の陣後には再興に尽力した」と淀屋と大坂の城下町との関わりを解説した。
最後に、同会副代表の蒲田建三さんの進行で、作家の松本薫さんと同研究会幹事の丹波紀美子さんによる「淀屋闕所事件にひそむ謎に迫る!」と題した対談が行われた。淀屋に関しては、財産没収の事実こそ記録に残っているが、背景や具体的な理由を記す史料はほとんどないという。参加者は松本さんらの見解に真剣に耳を傾け、うなずく姿も見られた。
毛利さんは講演の中で「当初用意した210席が予約段階で満席となり、用意した増席分も埋まった」と盛況ぶりに喜びを見せた。参加者の大阪市在住40代男性は「思ったよりも人数が多くて驚いている。淀屋研究会の成果の現れでもあると思う」とほほ笑む。
知人に誘われて参加したという大阪市在住の50代女性は「淀屋については名前を聞いたことがある程度しか知らなかったので、大坂が商業の街として発展するのに関わっていたとは驚いた。これから、中之島や淀屋橋を通るたびに思い出すのでは」と話す。
同会では10月3日、船場まつり講演会を開く予定。